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武蔵揺籃の地から釜坂峠を越えて
武蔵(むさし)の里(さと)から平福宿(ひらふくじゅく)へ

智頭急行宮本武蔵駅→20分→讃甘神社→10分→宮本武蔵神社→15分→一貫清水→10分→釜坂峠→10分→釜坂→25分→県境の碑→30分→江川神社→30分→平福・佐用分岐→65分→智頭急行平福駅【3時間35分】

吉川英治が描いた小説で、宮本武蔵が生まれ育った村として描かれた宮本村(現美作市宮本)から、佐用へ繋がる因幡街道を辿る。鳥取藩主も参勤交代の際に通ったといわれる道を、江戸時代に思いを馳せながら歩いてみよう。

智頭急行智頭線の普通車両
智頭急行智頭線の普通車両

智頭急行で、播磨国から旧国境を跨ぐ蜂谷トンネルを越え、美作国へ入って初めの駅が宮本武蔵駅である。ホームからは、武蔵が育ったという静かでのどかな風景が広がっていた。駅前に降り立つと、お通と武蔵と又八の像が迎えてくれる。三人を写真に収め、現在は「武蔵の里」として親しまれている中心部へ向かう。

智頭急行宮本武蔵駅前の像
智頭急行宮本武蔵駅前の像

途中、目を引いたのが、宮本武蔵顕彰「武蔵武道館」の大屋根である。武蔵が作った刀の鍔をモチーフにしたらしい。

武蔵武道館
武蔵武道館

まず訪れたのは、大己貴命を主祭神とする讃甘神社で、今日の安全をお願いした。周辺には「五輪坊」「資料館」など見所も多いが、長い行程なので長居はせず先へ向かう。

讃甘神社
讃甘神社

武蔵の姉が嫁いだ平尾家の茅葺住宅、武蔵の墓がある武蔵神社に寄って釜坂峠の坂にかかる。ちょうど休みたくなるあたりに「一貫清水」が湧いている。水は飲めないが一服しよう。因幡街道は鳥取藩主が参勤交代で江戸へ向かう時にも通った播磨―因幡を結ぶ主要街道であった。傾斜は気にするほどでないが、歩けばなかなか手強い。

宮本川沿いの散策路
宮本川沿いの散策路

峠頂上の竹林にある「たて場地蔵尊」は二代目で、昭和になって据えられた。今は金回りが良くなるとかでお参りがあるらしい。頂上に「お通茶屋」が設けてあった。江戸時代には鳥取藩主が休憩する建物があり、二軒の茶屋が旅人をもてなしていたそうだ。

釜坂峠とお通茶屋
釜坂峠とお通茶屋

汗が引いたら釜坂集落へ下ろう。すぐに朽ちた家屋が目に付く。時世とはいえ哀れに思える風景である。集落に下りる手前で石造物が並んでいて、桜のシーズンなら写真を撮りたくなる。峠を下ると鳥取自動車道が横切っていて、田舎の風景が一変してしまった。

ここでどうしても見ておきたい大木が、蜂谷坂との合流点から上流へ100mのところにある。案内板によると推定樹齢400年、目通り6・3mの「スダジイ」の古木である。

県指定天然記念物のスダジイ
県指定天然記念物のスダジイ

暖地に自生する常緑広葉樹がこの地に育つのは珍しいので、県の天然記念物に指定されている。木肌に触れ大きなパワーをもらったら、江戸時代中期に五穀豊穣を願って建てられた瑞籬神社に立ち寄っておこう。

兵庫県側の釜坂峠口の春景色
兵庫県側の釜坂峠口の春景色

一息入れたら平成21年の豪雨災害の復旧が進む江川川沿いを下って行く。春には堤防沿いが桜色に染まり、一気に華やいだ景色になる。江川川を越える鳥取自動車の橋脚下は、暑い季節には風が吹き抜け、憩いの場を提供している。橋脚のそばに江戸時代は釜坂峠からこの辺りまで岡山県であったことを示す「境界標識」が復元され、「旧岡山県・旧兵庫県 管轄境界標」と書かれていた。

今とは県境が異なること示す境界標識
今とは県境が異なること示す境界標識

美作国から播磨国へ替わった地元の人々の心情を察しながら川沿いの農村風景を楽しむ。そうこうしているうちに文化7年(1810)を刻む江川神社の鳥居前に着く。趣のある鳥居なので、神社の様子が知りたくて足を向けると、素晴らしい彫りのある文安4年(1447)銘の本殿があり、県の文化財に指定されていた。絵馬堂の額も多いので一休みによいだろう。

再び元に返し、平谷口を過ぎると三差路に出る。直進すれば佐用の中心地だが、今回は左へ折れ、新田坂峠を越える。城壁を思わせる石垣の屋敷を過ぎると、峠の頂上で優しい表情の地蔵さんに見送られた。

新田坂峠の地蔵さん
新田坂峠の地蔵さん

峠坂を下る途中で利神城跡が姿を現した。見事な山容に見とれながら国道373号を渡る。宿場の風情を残すまち並みを気ままに歩けば平福駅はまもなくだ。

智頭急行平福駅
智頭急行平福駅

コースマップ

武蔵の里から平福宿へマップ