戦国時代末期、東西勢力拮抗の狭間で西の上月城、南の高倉城、東の利神城とともに赤松一等の城郭群を形成していたが、天正5年(1577年)11月、上方勢の羽柴秀吉が黒田孝高(官兵衛)、竹中重治(半兵衛)に攻撃させ落城した。
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